アイル・キス・イット・ベター

 えーと、きょうの、『スーペル』(バレンシアの地元紙)の表紙のコレさあ〜、、、
  これ、シルバ……??
 なんでこんなでっかいサングラス……つーかなんで車の運転中にサングラス……いちにのサングラス……人気者はTHE・ツライね……。(That's right☆!)
 この先は、おもったよりも理屈っぽいウザイ文章になってしまったので、たたんどきます。。。
 って、まあそれはともかくとして、数日前、セビージャのファンデ・ラモス監督が、ホームでの試合の前に、相手チームがまいかい献花をすることや、前半16分にスタンドが一斉にプエルタへの黙祷を捧げることについて、記者会見で訊かれた際に、

アントニオのケースの場合、自分達の頭の中からその思いを消すようにしなければいけない。もちろん、それは彼を忘れるという意味ではない。だが、毎試合、同じようなことが話されれば、選手たちの集中を奪うものだ
http://www.sevillafc.es/_www/actualidad.php?op=not&id=9202

 と、「そういうセレモニーはもうやめたほうがいいんじゃないか?」的な発言をして、その後マスコミから批判されてたみたいなんですけど、私はこれを読んだときにファンデ・ラモスの意見にすごい納得したので、なんで批判されてるのかよくわかりませんでした。「セレモニーでやる気が出こそすれ、集中力が削がれるはずはない!!」っていうのが、どうやらマスコミの大方の意見っぽかったんだけど、じっさいどうなのかはプレーしている選手たちにしかわからないし、個人的には、たぶん集中力が削がれたんじゃないかな〜っておもうし。うーん、なんというか、「セレモニーをなくしたほうがいい」という発言に対して、「プエルタの死を忘れてしまう気か?! この人非人め!!」的な反発心がとっさに芽生えちゃうっていうのはわかるんだけど、でもたぶん、「忘れない」ということと、「思い出さない」ということは、別のことなんじゃないかな〜?? セビージャの選手たちが、プエルタを忘れることはきっとないだろうとおもうけど、でも、忘れないということは、毎時間毎分毎秒プエルタのことを思い出しつづけることとイコールではないんじゃないかとおもいます。というか、いまはまだ、ピッチ上でプエルタのことを思い出すのは、ひどく生々しい痛みをともなうことなんじゃないかとおもうので、あえてそんな、せっかく治りかけたかさぶたを無理矢理めくるような真似はしなくてもいいんじゃないかな〜って……。生きてゆくのが辛くなるくらいの生々しい傷というのは、ある意味でとても美しいものだとおもうけれど*1、でも、人間はなかなか美には殉じられないものだし、というか、殉じないほうが平穏に暮らせるとおもうので、はやく痛々しい記憶は癒やしたほうがいいんじゃないかな〜っておもうし……。たしかに時間の経過とともに、プエルタの死の、胸に迫るかんじだとか痛ましさだとかは、だんだん薄れてゆくだろうとおもうし、ひょっとしたらそれをうしろめたくおもったりもするのかもしれないけれど、でも、それでも私は、なるべくはやく、セビージャの選手たちに傷を癒やしてほしいっておもいます。私はきほんてきに、お葬式とかセレモニーとか法事とかっていうのは、死者のためではなく生きている者のためのものだとおもっているので(心の整理をつけるためだとか、親戚と交流するためだとか……)、そのセレモニーがチームにとってマイナス要因になり得るのならば、やめてもぜんぜん構わないんじゃないかとおもいます。というか、私はわりと先のことをかんがえて先回りして暗くなってしまうほうなので、「このプエルタへのセレモニーがいつまでつづくのか?」とかんがえたときに、その終わりの見えなさに、じつはものすごく暗い深い穴をのぞき込むようなきもちになってたんですよね。。。(激☆ペシミストなので……) なので、セレモニーの廃止によって喪が明けるようなかんじになるのならば、そのほうがいいんじゃないかって、個人的にはおもいます。というか、日本だと四十九日過ぎたら喪が明けたってかんじになるので、それがない外国ややこしいなって。(おい)

 って、なんかダラダラ書いてしまいましたが(上のは載せ忘れていた、京セラ特製アトレティコプリンター☆!……って、なにダサイもの作って選手にプレゼントしてんねん日本企業!!)、けっきょくクラブ側がファンデ・ラモスの意見を採り入れて、対戦相手がプエルタに対する献花を終わりにして、16分に黙祷を捧げていたのをオベーションに変えることにしたんですけど、そのことについて、記者会見で訊かれたダニエル・アウベスが、

プエルタはたぶん、毎日、毎試合、毎分、思い出してくれなくていいと思っているだろう。彼が持っていた重要性を自分達は知っているし、それは引き続き持つものだし、彼がどこにいてもだ。そういったセレモニーが影響するものではないけど、試合開始はいつも寂しいものとなる。それが毎日、毎試合だと…彼のことを毎回思い出さなければいけないのかどうかわからない。自分の心の中にいつも彼がいるし、自分の場合でもいつも思いしのんでくれる必要はない
http://www.sevillafc.es/_www/actualidad.php?op=not&id=9248

 と答えていて、「ダニ、おまえ良いこと云うな……!!」っておもいました。これもだけど、私、アウベスが良いこと云うっておもったのってはじめてだよ!!(ちょう失礼)

 この画像を見たときには、Tシャツをパンツin、セカンドバッグ(おそらくルイ・ヴィトン)、(画像が縮小されてるから見にくいとおもいますが)耳にでっかい「D4」のピアスといい、どこを切っても気が合わなそうだとおもったのに!!(笑) つーか、「D4」って、やっぱり、「背番号4番のダニエル」の頭文字なのか?!(まさに頭文字D) なんかそれって、クリロナの姉がやってる店の名前が、「C7」「CR7」っていうのに近いものがあるわよね……どちらのセンスがより悪いと判断すべきなのかしら……??(びみょう)
  
 せっかくなので、セカンドバッグコレクション。(笑) つーかトーレス、バッグもだけど、一番左の画像のそのハッとするようなハットは……。釣りバカ日誌……??(大汗)
 なんか上履き入れみたいなバッグだな……。(失礼)

*1:硝子戸の中 (新潮文庫) 夏目漱石の、『硝子戸の中』の登場人物的な思想。恋愛によって深い痛手を負った女性が、「この美しい心持ち(と同時に深い傷跡)が、時間の経過とともに薄れてゆくのがつらい」的なことを云う、っていう。